2日間連続で飲み物の出だしですが最近はまっている飲み物があります。
バーで使われる炭酸などで有名なウィルキンソン社の「DRY COLA」です。
甘すぎる飲み物が好きではないので「辛口」な味わいは非常にあいがたいです。
飲んだ際に鼻腔を犯されたような感覚…たまりませんね。
過去にキリンの世界のキッチンシリーズ「ディアボロ・ジンジャー」にはまったのですが
気がついたら販売が行われなくなっていました。
今回はそんなミスがないように危ないと思ったら箱買いします。
そろそろ本編に行きましょう。
昨日から「シナリオ」というテーマで文章を書いています。
昨日はテクニカルな部分に特化した内容だったので本日は精神的な部分を書いていきたいと思います。
漫画やゲーム文章、ライトノベルなどは「キャラクター小説」と呼ばれることがあります。
同人ゲームや同人作品を愛好されている方は「キャラ」の重要性はご理解していると思います。
特に2次創作の作品を見た際に、この「キャラ」は作品の善し悪しの大きな判断材料になるはずです。
「この作者はキャラを掴めている」、「絵は上手いのにまるで別キャラのようだ」などなど
では「キャラ」とは一体なんなのか?
それは「記号」であると僕は考えています。
こういった「キャラクター=記号」は特別な意見ではなく、「多重人格探偵サイコ」の作者で有名な
大塚英志さんも数々の著書の中で語っている内容です。
小説と比較するかたちで行われる「ライトノベル批判」、「ゲーム文章批判」というものがありますが
僕はその比較はあまり適切ではないと判断しています。
一般乗用車とF1カーを比較しているようなもので、的はずれな気がしてならないのです。
漫画やライトノベルへの指摘として「語尾がおかしい」、「話し方がおかしい」というものがあります。
まぁ、現実世界で「えへへ…」とか言われても 殴りたく 違和感がありますよね。
同人ゲーム版「ひぐらしのなく頃に」では声優が入っていない上に
画面がメッセージウィンドウなしで展開されます。
普通だとなかなかキャラクターを覚えにくい、もしくは誰が話しているかわからん。
という事態になります。それを緩和しているのが「語尾」もしくは「口癖」でしょう。
「~ですわ」、「にぱー☆」などはキャラクターを固定化するもっとも合理的な手段です。
この固定化こそが「キャラクターの記号化」です。
この記号化は精神的な部分だけではなく当然、見栄え的な部分にも及んでいます。
結構、乱暴な言い方をしてしまうとシナリオは文学とは違い実に数学的なものだと思います。
記号化された情報の組み合わせによってビジュアルも性格も物語も決定されます。
そういった意味では音楽と近いかもしれません。
「記号の組み合わせならば限界があるのでは?」という指摘があると思います。
これも音楽と同じだと考えています。
限りある「音」の組み合わせによって構築されている音楽もかなりの数が存在している。
そこで楽器、ボーカルなどなどの要素が入れば無限に等しいといえるのではないか?
同じくキャラクターも同じことがいえるのではないでしょうか。
ある一定のベーシックな組み合わせというものが音楽にもキャラクターにも存在します。
そのために、その法則に則れば誰でもある程度のものは作成が可能だと思います。
しかし最後にものを言うのははやり抽象的ですが「センス」なのでしょう。
「歌謡曲」+「戦隊物」=檄!帝国華撃団
上記のような組み合わせの「妙」はまさにセンスでしょう。
同じく最近アニメ化していた「インフィニット・ストラトス」登場キャラクター「セシリア」にも
この組み合わせの妙を感じました。
「金髪」+「お嬢様」というベーシックな組み合わせによって「高飛車」というイメージが
全面にでそうですがこれに「釣り目」ではなく「タレ目」を組み合わせていることによって
優しさやドジっぽさを出しているのです。これも組み合わせの「妙」といえそうです。
キャラクターの記号論については先ほどご紹介した大塚英志さんの著書をご覧ください。
ここで書いたお粗末な文章よりも的確で意味のあるものが読めます。
あくまでここに記述したのは考え方のひとつですので悪しからず。
では、この辺で。以上、宗岡でした。